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ビジネスに活かす
メンタルトレーニング

本稿は自動車雑誌連載記事です。

第14回 「無我の境地」メカニズム

 ゴルフには技術的なコツがたくさんあります。しかしそのコツを、2秒もかからないスイング中に、あれこれ意識していたらどうでしょうか。そんな状態では、うまく当たるわけがありません。
 その対極にあるのが、「無我」とか「無心」といわれる境地です。ところが、無我とか無心とかいうと、頭の中が空っぽになることだと思っている人がけっこういます。実は私自身も、この点を長いあいだ勘違いしていました。私が川上哲治さんの影響を受けて1981年から坐禅の修行をしたのを契機に仏教書をいろいろ読むようになっても、まだそんな程度に思っていたのですから情けないことです。
 ところがさらに5年ほどしてヨーガに出会い、その哲学を勉強するようになってやっと納得できました。無我とは我が無くなり、そして真の自己が顕れ出ることだと教えられたからです。つまり、もろもろの欲望から出てくる我(エゴ)が心の中から消え去って、人間のいちばん奥底にある自己(セルフ)が輝き出ることだとわかったのです。

 この世に生まれ落ちたとき、すべての人は何の汚れもない自己そのものです。ところがやっかいなことに、成長していくにつれ心の中には自我というものが育っていきます。それが元々は水晶球のようにきれいな自己(セルフ)の周りに少しずつへばりつき、やがてエゴがセルフを覆い尽くします。そして外側からはエゴばかりが見え、最初からすばらしいセルフはなかったかのように見えてしまう人もたくさんいます。
 東洋的な精神修行法である禅やヨーガなどは、こうして知らず知らずのうちにへばりついたエゴを、さまざまな方法で少しずつはがしていく作業といってもよいでしょう。ヨーガではそれを八つの修行段階を経て実現しようとしており、禅宗では坐禅という方法で同じことをめざしているのです。
 わが国では昔から、武道や芸道の世界で一流に達しようと技を磨き、体を鍛えた多くの人たちが、この精神集中力と「とらわれのない心」を禅に求めて修行に励みました。いわゆる「無心」とか「無我の境地」と言われるものです。スポーツでもこうした境地に入ると、実力以上の力が発揮されることがあります。

 この点に注目して、非常にユニークなスポーツ指導論を展開したのが、アメリカのティモシー・ガルウェイです。名門ハーバード大学で心理学と東洋思想を学んだガルウェイは、テニスのレッスン・プロをしながら、次第にインドのヨーガの哲学を基盤とした独特なスポーツ指導論を築き上げたのです。
 心の力、とりわけ精神集中を利用した彼のスポーツ自然上達法は「インナーゲーム」と呼ばれ、スポーツ科学者よりもむしろ実践の場で激しい戦いを強いられているプロたちの間で高く評価されています。
 ガルウェイのインナーゲームの中心的な考え方は、次のようなものです。人間の心にはエゴ(自我)とセルフ(自己)という二人の自分が住んでおり、本来われわれはセルフの働きに任せておけば、運動を自然に習得したりうまくやったりする能力を持っているにもかかわらず、エゴがそれを妨害してうまくいかなくなってしまうというのです。
 ですから、スポーツで本来の実力を最高に発揮するためには、この「俺が、俺が」というエゴの働きをコントロールしなければならないのです。エゴはスポーツばかりでなく、仕事でも勉強でも、わたしたち人間にとって最も手ごわい敵であり、まさに「獅子身中の虫」ともいうべき存在なのです。

 エゴの働きでバットを振ったり、投球しようとしている野球選手は、間違いなく注意散漫な状態にあります。そんな選手の心はたいて躊躇や怒りに満たされており、その結果として生じたフラストレーションや不安が、せっかく築いた自信をあっという間に崩してしまうのです。
 試合になれば、大勢の観客、声援、不慣れなグラウンド、風や雨、暑さや寒さなど、さまざまな外的プレッシャーが襲いかかってきます。加えて、成功への過剰な期待による「○○したい症候群」や、その裏返しである失敗・不安などが選手の心を揺さぶるのです。こうした外的・内的阻害要因が、選手のエゴに強力に働きかけ、自己を疑わせ、集中力を奪い去ってしまうのです。
 逆に言えば、無心とか無我と言われるような境地、あるいはゾーンとか、いい意味での「開き直り」といった状態を生み出すためには、なんらかの方法でエゴを静かにさせる必要があるというわけです。
 ガルウェイは、坐禅でも瞑想でもない、実にシンプルなやり方でスポーツ版エゴ・コントロール法を開発してくれました。これについては次回、詳しくご説明します。

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